早春の四国の旅(高知、祖谷編) [旅行]
「早春の四国の旅(内子、四万十編)」 より続く。
さて、いよいよ最終日。天気は、快晴。
最初の目的地は、昨日と入れ替えになった桂浜です。
「月の名所は、桂浜~」とよさこい節にも歌われる名所。
入り口には、土佐闘犬センターもあり、伝統の土佐の闘犬も見ることが出来ます。
ここの名物は、やはり写真の坂本龍馬像。
顔は、ご家族の保障付きでそっくりだそうです。
龍馬像の裏から階段を下ると桂浜に出られます。
地図でもそれほど大きな海岸というわけでも無いので、
それほど期待していなかったのですが、行って見てビックリ。
「月の名所」と言われるだけあって、何とも風光明媚な海岸。ガイドさんが朝に回したわけですね。
非常に広い訳では、無いのですが、適度に波が荒いせいか、水が澄んでいて、
海岸の砂も細かく非常にきれいです。
また、ここから見る海が何とも青く雄大。これで月が海から上がったりしたら最高の眺めでしょう。
左の写真は、打ち寄せられている小石のアップ。
適度に波が荒いせいでしょうか?
きれいに石の角がとれて丸くなった石が非常に多いです。
「五色石」と称して形のよいものを屋台で売ってたりするのですが...
原価ゼロ円のものを結構良い値で売っておりました。(笑)
上の写真の先に見える、少し歩いた、
竜王岬の上から見た景色もまた素晴らしいです。
高知へ行かれたらここは、是非、お勧めしたい場所です。
さて、桂浜を離れて向かうのは、安芸。ここは、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の生家のある場所。
岩崎弥太郎の生家は、以前は、道が狭く観光バスなどは、入れなかったそうなのですが、
大河ドラマ効果もあってか近年整備されたそうです。
岩崎弥太郎の生家へ行く前に安芸駅でトイレ休憩。
時間が余ったので駅の横の「ぢばさん市場」を覗いていました。
ふと見ていた売り場で見つけたのが写真のもの。
なんと「朝獲れの猪肉」です。「朝獲れ」らしく、骨等もスープ用に売っています。
鮮度も良く色もきれいな上物、決して安い値段では無いですが、これは買いでしょう。
親切にたっぷりの保冷剤を付けていただいて、バスの保冷庫まで、
ガイドさんのご好意でお借りしてお土産に持って帰りました。
帰宅して食べてみて驚き。処理が良いのでしょうか?
そのまま焼いて食べても全く臭みが無く、旨みの塊。これは美味しい。
半分ほどは、そのまま焼いて食べ、残りは、ガイドさんのアドバイスどおり、
2時間ほどお酒につけてそのまま猪汁にしました。
脂や皮の部分までトロリとしてこれまた美味しい。この旅行一番のお土産に成りました。
さて、岩崎弥太郎氏の生家へ。
写真向かって左が正面から見た生家です。
え?随分きれいだけど立て直した後かって?いえいえ、、この家は当時からそのままだそうです。
某大河ドラマ「龍馬伝」では、えらいボロ家に描かれていますが、実際はそうでは無かったようです。
当時の、郷士の株を売り農業などで生計を立てていた「地下浪人」と呼ばれる層の典型的な住まいだそうです。
現在周囲にある蔵は、岩崎が成功を収めてから建てられたもので、中央の写真のように三菱のマークが入っています。
この三菱のマークは、右の写真にみられる岩崎家の岩崎家の家紋「三階菱」を
土佐山内家の家紋「三ツ柏」の形に合わせて広げ、土佐出身を表しているのだそうです。
この周囲は、低い山に囲まれたなだらかな谷状の土地で
現在も水が非常に豊富で農業が盛んに行われている場所のようです。
幕末でもおそらく肥沃な農業向きの土地だったのではないかと思います。
さて、バスは、山の方へ最後の目的地は、祖谷です。
非常に狭い崖沿いの道を走っていきますが、向かいの崖の上には、
これまた、ちょっと地震でも有ったら落ちそうな雰囲気で
土讃線の電車が走っています。全く凄い所に線路を通したものです。
しばし走って、「レストラン大歩危峡まんなか」という名前の通りのところでお昼。
オプションの昼食は、頼まなかったので、お昼は、自由昼食。
写真向かって左の深山定食という、鮎のちらし寿司、甘露煮、祖谷蕎麦、祖谷豆腐の冷奴のセットをいただきました。
祖谷蕎麦は、蕎麦粉十割の太く短めの蕎麦ということですが、
東京でも十割蕎麦が結構頻繁に見られるようになった昨今、あまり珍しくない印象。
祖谷豆腐は、非常にしっかりとした固さのある食感で大変美味しくいただきました。
食後は、レストランの下に降りると名前の通り「祖谷渓」のど真ん中。
鋭いV字型の谷で増水時は、レストランの直ぐ下まで水が上がってくるということですが、
景観としてはあまり絶景という感じでは無かったですね。
最後の立ち寄り場所は、「祖谷のかずら橋」。
もともとこの土地は、平家の落武者等が住んだ土地で追手が来た際に橋を切って落として逃げるために
あえて切り易い素材のかずらの蔦で橋をかけたのだそうです。
現在は、さすがにワイヤーで補強されていますが、中央が垂れ下がっている上に
結構、踏み板の間が開いており、しかも結構ゆれるという迷惑な橋。(笑)
誰だ?こんなとこをコースに組んだヤツは!高所恐怖症の気のある私にとっては、エライ迷惑です。
はい、折角ですからね。ちゃんと渡りましたよ。
え?橋の上からの写真が無い?そんな余裕は、ありませんって。(笑)
写真向かって一番右は、橋を渡りきったところにある「琴弾きの滝」。
昔、ここで落武者の奥方たちが琴を弾いたとかという話があるようです。
最後の難関を乗り越え高松空港から帰路へ。
見所が四国全体に散らばっているので、移動の多い旅行になってしまいましたが、
のんびりした風景と気候の良さが魅力の四国。
充分に見られなかった場所も有りましたので、機会があったら、今度は、じっくりと旅してみたいです。
さて、いよいよ最終日。天気は、快晴。
最初の目的地は、昨日と入れ替えになった桂浜です。
「月の名所は、桂浜~」とよさこい節にも歌われる名所。
入り口には、土佐闘犬センターもあり、伝統の土佐の闘犬も見ることが出来ます。
ここの名物は、やはり写真の坂本龍馬像。
顔は、ご家族の保障付きでそっくりだそうです。
龍馬像の裏から階段を下ると桂浜に出られます。
地図でもそれほど大きな海岸というわけでも無いので、
それほど期待していなかったのですが、行って見てビックリ。
「月の名所」と言われるだけあって、何とも風光明媚な海岸。ガイドさんが朝に回したわけですね。
非常に広い訳では、無いのですが、適度に波が荒いせいか、水が澄んでいて、
海岸の砂も細かく非常にきれいです。
また、ここから見る海が何とも青く雄大。これで月が海から上がったりしたら最高の眺めでしょう。
左の写真は、打ち寄せられている小石のアップ。
適度に波が荒いせいでしょうか?
きれいに石の角がとれて丸くなった石が非常に多いです。
「五色石」と称して形のよいものを屋台で売ってたりするのですが...
原価ゼロ円のものを結構良い値で売っておりました。(笑)
上の写真の先に見える、少し歩いた、
竜王岬の上から見た景色もまた素晴らしいです。
高知へ行かれたらここは、是非、お勧めしたい場所です。
さて、桂浜を離れて向かうのは、安芸。ここは、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の生家のある場所。
岩崎弥太郎の生家は、以前は、道が狭く観光バスなどは、入れなかったそうなのですが、
大河ドラマ効果もあってか近年整備されたそうです。
岩崎弥太郎の生家へ行く前に安芸駅でトイレ休憩。
時間が余ったので駅の横の「ぢばさん市場」を覗いていました。
ふと見ていた売り場で見つけたのが写真のもの。
なんと「朝獲れの猪肉」です。「朝獲れ」らしく、骨等もスープ用に売っています。
鮮度も良く色もきれいな上物、決して安い値段では無いですが、これは買いでしょう。
親切にたっぷりの保冷剤を付けていただいて、バスの保冷庫まで、
ガイドさんのご好意でお借りしてお土産に持って帰りました。
帰宅して食べてみて驚き。処理が良いのでしょうか?
そのまま焼いて食べても全く臭みが無く、旨みの塊。これは美味しい。
半分ほどは、そのまま焼いて食べ、残りは、ガイドさんのアドバイスどおり、
2時間ほどお酒につけてそのまま猪汁にしました。
脂や皮の部分までトロリとしてこれまた美味しい。この旅行一番のお土産に成りました。
さて、岩崎弥太郎氏の生家へ。
写真向かって左が正面から見た生家です。
え?随分きれいだけど立て直した後かって?いえいえ、、この家は当時からそのままだそうです。
某大河ドラマ「龍馬伝」では、えらいボロ家に描かれていますが、実際はそうでは無かったようです。
当時の、郷士の株を売り農業などで生計を立てていた「地下浪人」と呼ばれる層の典型的な住まいだそうです。
現在周囲にある蔵は、岩崎が成功を収めてから建てられたもので、中央の写真のように三菱のマークが入っています。
この三菱のマークは、右の写真にみられる岩崎家の岩崎家の家紋「三階菱」を
土佐山内家の家紋「三ツ柏」の形に合わせて広げ、土佐出身を表しているのだそうです。
この周囲は、低い山に囲まれたなだらかな谷状の土地で
現在も水が非常に豊富で農業が盛んに行われている場所のようです。
幕末でもおそらく肥沃な農業向きの土地だったのではないかと思います。
さて、バスは、山の方へ最後の目的地は、祖谷です。
非常に狭い崖沿いの道を走っていきますが、向かいの崖の上には、
これまた、ちょっと地震でも有ったら落ちそうな雰囲気で
土讃線の電車が走っています。全く凄い所に線路を通したものです。
しばし走って、「レストラン大歩危峡まんなか」という名前の通りのところでお昼。
オプションの昼食は、頼まなかったので、お昼は、自由昼食。
写真向かって左の深山定食という、鮎のちらし寿司、甘露煮、祖谷蕎麦、祖谷豆腐の冷奴のセットをいただきました。
祖谷蕎麦は、蕎麦粉十割の太く短めの蕎麦ということですが、
東京でも十割蕎麦が結構頻繁に見られるようになった昨今、あまり珍しくない印象。
祖谷豆腐は、非常にしっかりとした固さのある食感で大変美味しくいただきました。
食後は、レストランの下に降りると名前の通り「祖谷渓」のど真ん中。
鋭いV字型の谷で増水時は、レストランの直ぐ下まで水が上がってくるということですが、
景観としてはあまり絶景という感じでは無かったですね。
最後の立ち寄り場所は、「祖谷のかずら橋」。
もともとこの土地は、平家の落武者等が住んだ土地で追手が来た際に橋を切って落として逃げるために
あえて切り易い素材のかずらの蔦で橋をかけたのだそうです。
現在は、さすがにワイヤーで補強されていますが、中央が垂れ下がっている上に
結構、踏み板の間が開いており、しかも結構ゆれるという迷惑な橋。(笑)
誰だ?こんなとこをコースに組んだヤツは!高所恐怖症の気のある私にとっては、エライ迷惑です。
はい、折角ですからね。ちゃんと渡りましたよ。
え?橋の上からの写真が無い?そんな余裕は、ありませんって。(笑)
写真向かって一番右は、橋を渡りきったところにある「琴弾きの滝」。
昔、ここで落武者の奥方たちが琴を弾いたとかという話があるようです。
最後の難関を乗り越え高松空港から帰路へ。
見所が四国全体に散らばっているので、移動の多い旅行になってしまいましたが、
のんびりした風景と気候の良さが魅力の四国。
充分に見られなかった場所も有りましたので、機会があったら、今度は、じっくりと旅してみたいです。
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