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「鈴木酒造場」を探して [日本酒(いろいろ)]

P1060728.JPGよく拝見している 酒は生涯の友、友は生涯の宝 さんを見ていたところ、
1980年刊行の本には、掲載されて、現在は無くなっている東京の蔵元さんの話が
載っていました。蔵の名前を引用いたしますと以下の6蔵です。

  ・冨久浦 (鈴木酒造場 小平市小川)
  ・大綬 (川田酒造 町田市旭町)
  ・白春 (白春酒造 八王子市東中野)
  ・宇素桜 (五十嵐酒造 青梅市大門)
  ・社会冠 (西岡酒造 八王子市八木町)
  ・吟雪 (渡辺酒造 武蔵村山市中藤)


この中で西岡酒造さんは、現在、福井に移転して健在ですね。(代表銘柄は、「月丸」)

追記:ほかに 「鳳桜」の土屋酒造さん(狛江市岩戸)、
    「酔悦」「武蔵男山」の大多摩酒造さん(青梅市青梅)、も近年休蔵中。
    「國府鶴」の野口酒造さん(府中市宮西町)は、現在、自家醸造をされておらず、
     他社に製造委託されている状態との事です。
                   (ソバツユ様、take9243 様より、情報をいただきました。)

その中で、気になった蔵元さんが一つ。
小平市小川にあったとされている「鈴木酒造場」さん。
私は、生まれも育ちも東京都小平市なのですが、そんな話は、初耳です。
何処にあったのでしょうか?また、いつ頃まで醸造されていたのでしょうか?

ちょっと調べてみようと思いネットで検索をかけたのですが、これが見つからない。
論文の表題らしきものは、幾つか見つかったのですが、中身は見つかりません。

「文明の利器、インターネットもこの程度か?
   たかだか30年前には有った蔵すら見つからないとは!」

等と怒った所で始りません。
やはり人から注目されない情報というのは、無くなってしまうのでしょうね。

数日かかって、ちょっと閃きました。
「廃業の情報を探すから見つからないんじゃないの?営業してた時の情報ならどう?」
早速、検索ワードをシンプルに「小平 酒造り」で探してみると
意外な資料が出てきました。


「な、なんですか? この、平仮名だらけの資料は?」

出てきたのは、小平市立図書館がネットで公開している
「としょかんこどもきょうどしりょうNo.35 多摩の酒造」 という資料。
子供向けの資料なら、平仮名だらけなのは、当然ですが、
そもそも、こういう資料がネットで公開されていること自体知りませんでした。

ちょっと話が反れますが、この資料、多摩の酒造所の昔の銘柄や歴史まで網羅し
非常に良く出来ています。
問題なのは、日本酒の種類や造り、果ては、酔っ払い方の種類まで
きっちり説明されている事です。(爆) 子供に教えて良いのでしょうか?(笑)

それは、兎も角、こちらに小平の日本酒造りの歴史も詳しく書かれていました。
この資料もいつまで公開されるか判りませんので内容を抜粋しておきます。

小平の酒造りは、主に越後杜氏によって行われており、
「當麻(たいま)家」などは、多摩でも相当大きな醸造業者だったようです。
酒造は文化7(1810)年に役所の許しを得たという古文書が残っているそうです。
明治の初め頃までは、いくつもあった小平の酒造ですが、
明治14、5年頃の不況の時期にパタパタとやめてしまいました。
その中でただひとつ、鈴木酒造だけが昭和62(1897)年まで続きました。
                           -- 小平の酒造の章 より--

「昭和62(1897)年」と言うのは、原文のままですが、計算が合いませんので、
1987年の誤植と思われます。
鈴木酒造場は、1987年ですから20年ほど前まで存在したんですね。
1884年に埼玉県入間市で開業し、5年後小平に移ったとされていますので、
100年以上も歴史が有った訳です。
「冨久浦」と言う銘柄は、創業者の出身が新潟だったため
新潟の福浦八景と「富み栄えるように」と言う意味での命名だったようです。
場所も「小平市小川町1-781」としっかり出ていました。

さて、それならという事で、実際にその場所へ行って見ました。

P1060733.JPG青梅街道から南へ伸びる道が入り口になります。
この辺りは、小川寺という古いお寺があり、
かつて武蔵野が開拓された頃の
小平の中心地だった所ですね。
事前にGoogleマップで確認した所、蔵などの建物は、
もう残っていない事は判っていたのですが、
井戸とか、何か名残が無いかなと思って行ってみたのですが...有りました。

P1060728.JPGこの場所にある公園の看板です。
「酒蔵児童公園」とあります。

公園名として残っていたんですね。
公園としては、非常に小さな公園です。
この公園の敷地だけでは、
当然、酒造りなどできるはずもありません。


P1060722.JPGP1060727.JPG
さらに南には、左の写真のような瀟洒なアパート郡がありました。
おそらくこのエリア辺りまでが蔵の敷地だったのでしょう。
公園のすぐ南には、右の写真の小川分水が流れています。
玉川上水の分水で往時は、もっと大きく農作業や生活用水に使用されたそうです。
米や道具の洗い水として使用されたのかもしれませんね。

さて、小平の酒屋の一部では、現在、「小平」という名前の日本酒が売られています。
商工会のプロデュースで「澤ノ井」の小澤酒造さん等に委託して造って頂いているようです。
(数年ごとに、蔵が代わっているようです。)

そこで私からここで提案です。折角、存在した小平の蔵元です。
どうせなら「小平の酒 冨久浦」とかのブランドで出しませんか?
「鈴木酒造場」「冨久浦」の名前は、現在非常に忘れられた名前に成りつつあるようです。 
出来れば残しておくべき物の様に思います。
廃業して20年ほどなら、まだ、商標などの権利関係も混乱していないのでは無いでしょうか?
関係者の方、いらっしゃいましたら、是非、御一考を。
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コメント 17

ソバツユ

小川に酒蔵があったのですね、公園の名に名残を留めて・・・
東京かじのの近くでしょうか、小川と聞くとあの乾麺を思い出します。
旧の酒名を残すのは良いことだと思います、造り手は違っても歴史が繋がりますものね♪

八王子の「日の出」なる酒を頂いたことが、悪くなかったですよ、友人の奥方が蔵元と仲良しのようで。
東京の隠れた酒蔵はまだありそう、多摩の酒造なる資料、興味深く拝見しました。
狛江の「土屋酒造」数年前に蔵を閉じてしまっています、都心から二番目に近い蔵でしたが。
多摩では嘉泉でしょうか屋守も良いですね、東京の酒、もう少し調べて見たくなりました♪
by ソバツユ (2009-03-02 09:27) 

真秀

ソバツユ様

場所としては、「かじの」よりもかなり西です。
府中街道を越えて、西武国分寺線を越えて、
温泉施設「テルメ小川」のちょっと先と言う感じですね。

東京の多摩地区は、江戸時代の開拓村が多いですから、
村々の庄屋のような大きな家で少ない石高で醸造が
行われたのかも知れませんね。
「ハケ」に代表されるように、水も掘り当てさえすれば
比較的良質ですし。

狛江の「土屋酒造」さんも廃業されていましたか。
後で書き加えて置きます。
by 真秀 (2009-03-02 23:09) 

take9243


こんばんわ!いつも見て下さってありがとうございます!

鈴木酒造場、お近くだったんですね。
実際に足を運ぶと感慨深いものがありますよねー。
知らない人が見たら「酒蔵児童公園」なんて「???」でしょうし(笑)

上でソバツユさまが書かれていた土屋酒造さん、公式には「休蔵中」となっています。
何らかの理由で酒造免許を返上してない可能性もあるのでお調べください。(僕も知らないのです)
また青梅の大多摩酒造も同じく休蔵中、府中の國府鶴も販売のみで醸造は複数蔵に委託しています。

東京の蔵、これ以上減って欲しくないものです。
by take9243 (2009-03-03 00:19) 

刑部しおん

真秀さま こんばんは

渡辺酒造さんの「吟雪」は多摩地区では、結構名の通ったブランドで、よく地場の酒屋さんに電飾看板が出ていたんですが、1,2年前に廃業されてしまいました......

廃業のちょっと前、その酒蔵の若手社員が「上質の酒を作って勝負してみたいのだけれど、先輩たちのやる気がなくてもどかしい」っていう愚痴を、あるお蕎麦屋さんを通じて聞いていました。
そのあと廃業の情報を聞いて、いろいろあったんだなぁ、と思いました。
by 刑部しおん (2009-03-03 21:02) 

真秀

take9243様、コメント有難うございます。
「双鴨」のレポート楽しく拝見いたしました。

「鈴木酒造場」については、近くに居ながら、
全く把握しておらず大変勉強に成りました。
酒蔵と言うのは、庄屋などの広い土地を利用しているケースが多いので
なかなか、跡地でも無くならず、ランドマークになると思っていたのですが、
街中では、土地の再利用などで簡単に痕跡が無くなってしまう
ものですねぇ。

>土屋酒造さん、大多摩酒造さん

確かに、東京都酒造組合のページで確認すると
「休蔵中」となっていますね。
以前、組合長さん(この時は、東村山の豊島屋酒造さん)に
伺ったところ酒造免許が無いと組合員に成れないととのことでしたので
酒造免許は返上されていないのでは、無いかと思います。
復活が有る事を期待したいですね。

現在、東京都の醸造元としては、
12蔵+1(黄桜酒造のお台場醸造所)が有るわけですが、
是非とも、生き残っていただきたいですね。
by 真秀 (2009-03-04 01:03) 

真秀

刑部しおん様、コメント有難うございます。

仰るとうり、渡辺酒造さんは、
多摩地区では、かなり勢力のある蔵元さんでしたね。
独特のサラリーマンのマスコットキャラ?の看板を出した飲み屋さんも
結構、ありましたね。

武蔵村山の「からくりの湯」あたりへ行く折に良く、
煙突や蔵の様子を見ながら行っていたので、
私も2007年9月の廃業の折には、非常に悲しい思いをしました。
いろいろ蔵元さんとしても、葛藤が有ったのでしょうね。

廃業後、大吟クラスの古酒が結構都内に流れていた様子でしたので
全くチャレンジが無い訳では、無かったのでしょうが、
ご商売としては、簡単では、無かったのでしょうね。
道具や設備の一部は、武蔵村山市に寄贈されたと聞きますが、
上手く活用されると良いのですが...

「フードマイレージ」等が叫ばれる昨今、日本のアルコール類では、
日本酒などは、もっとも「エコ」な部類だと思います。
是非とも、これからも蔵は、減らずに居て欲しいですね。
by 真秀 (2009-03-04 01:16) 

ひろぼぅ

私の住んでいる近くにこんなところがあるとは思いませんでした。
地元の歴史を教える社会科の読本にも載ってなかったように思えます。

次の世代にもぜひ伝えたい歴史です。
by ひろぼぅ (2009-03-10 00:25) 

真秀

ひろぼぅ様、初めまして。

知人に同じHNの持ち主がいるのですが、
もしや、同一の方でしょうか。

私も、正直、全く初耳な話で、今回調べてみて大変驚きました。
かなり、ネット検索でも情報が出てきませんので
ほんの20年ほど前の廃業ですが、
忘れられた歴史に、なりつつあるのかもしれません。

しかし、一酒好きとしては、是非一度、
そのお酒を飲んでみたかったですねぇ。
by 真秀 (2009-03-10 02:00) 

Taka

はじめまして。
小平の蔵元をさがしていて、こちらのブログに来ました。
実はもう40年以上も前のことになりますが、私の父のいとこが毎年冬になると酒造りに東京に来て、東大和にある私の実家に顔をだしてくれていました。たしか小平の青梅街道沿いの蔵元に来ていたように記憶していたので、それがどこかしらべていました。当時私は中学生くらいでしたが、「冨久浦」という名前にも聞きおぼえがありました。たいへん参考になりました。
父のいとこは新潟県旧吉川町から来ていたのですが、私はお酒には詳しくないものですから、吉川杜氏という一派があることなど、ごく最近知りました。吉川杜氏で検索すると「よしかわ杜氏の郷」という蔵元?がヒットしますが、こちらの大吟醸はおいしかったです。祖父母の出身地ですのでちょっと宣伝させていただきました。失礼しました。
by Taka (2010-04-07 23:12) 

真秀

Taka様
はじめまして。コメントありがとうございます。

ご親族の方が吉川杜氏で鈴木酒造場さんにいらしていたのですか。
越後系の杜氏さんだったらしいというのは、判っていたのですが、
吉川杜氏さんだったとは知りませんでした。
20年以上を過ぎて情報をいただくと言うのも奇縁ですね。
ありがとうございます。

>「よしかわ杜氏の郷」

わたしも詳しくは知りませんが、一時期途絶えていたものを、
醸造免許を取り直して再開した蔵元(?)さんのようですね。
酒米「五百万石」の故郷でもあるようです。
まだ、お品をいただいたことがありませんが、
是非、味わってみたいと思います。
by 真秀 (2010-04-08 23:42) 

NO NAME

こんにちは。はじめまして。

東京で酒造りをしたいと思いながら、廃業された蔵元のことを調べていたところ、こちらのブログをみつけ、拝見させていただきました。

私が知るところ以上に、東京には蔵元があったのですね。
それが、ひとつ、又一つと減っていくのをみるのがつらいです。

以前石川で酒を造っていたことがあるのですが
酒造りをとおして、休業している蔵元、廃業している蔵元を復活させることができたらいいなと考えています。(現在模索中ですが)
by NO NAME (2010-06-08 18:03) 

真秀

NO NAME様
はじめまして、コメントありがとうございます。

私も詳しくは無いのですが、江戸後期から明治初期などには、一村に1軒という感じで
土地の庄屋などが小規模な酒造りを行っていた時代も有ったようですね。
こちらに上げた資料を見る限りでは、
戦前位までは、かなりそういった造り酒屋が生き残っていたようで
私も非常に勉強になりました。

現在は、日本酒の蔵元さんは減る一方だと思いますが、
小江戸鏡山酒造さんの様に無くなった銘柄の遺髪を受け継いだり、
新たに独立して酒造りを始めるところもゼロでは無い様です。
是非とも御意志を成就させられる事を願っております。

その際には、是非、一報いただければ、極めて微力ながら
日本酒好きの一人として応援させていただきたいと思います。
by 真秀 (2010-06-09 21:46) 

☆ほし

八王子市東中野(由木)の白春酒造は、30年くらい前に廃業したようです。日本橋にある酒問屋の経営でしたが、現在では酒類からは手を引いてしまってます(会社自身は、今でもあります)。
白春酒造のあった場所は、戦前は松岡酒造でした。
by ☆ほし (2013-02-28 14:23) 

真秀

☆ほし様

コメントありがとうございます。
白春酒造さんが松岡酒造さんと同じ場所だったと言うことは、
設備丸ごと引き継がれたという事ですかね。

江戸から明治にかけては、村の庄屋の家などが、
副業的に酒や醤油などの醸造を手がけていたケースも多かったようですが、
ひょっとしたら白春酒造さんは、それらとは、違って今で言うベンチャー的に
醸造業を行われた会社だったのかも知れませんね。

この記事の鈴木酒造場の時もそうでしたが、
こういう、小さな蔵元さんの情報は無くなるとなかなか発掘が難しいようです。
貴重な情報ありがとうございました。

by 真秀 (2013-02-28 20:12) 

☆ほし

真秀 様

私が調べた限りでは、
もともと東中野(由木)には、江戸時代から続く十一屋という酒造所がありました。大正年間にここを譲り受けたのが、越後出身の松岡酒造です。
松岡酒造は昭和10年代に破産して酒造所を手放さなければならなくなったようですが、松岡酒造の跡地を購入した人は酒造はしなかったようです。
白春酒造は昭和23年にここを購入して酒造を始めたようです。白春の親会社は日本橋の荒井商店で、会社の沿革にも記載されてます。

松岡酒造の破産の経緯は、“松岡酒造、南津電鉄”で検索してみてください。
恩方の中島酒造も昨年に廃業してしまい、残念です。ちなみに、中島酒造と松岡酒造は、親戚関係のようです。
by ☆ほし (2013-03-01 09:42) 

真秀

☆ほし様

詳しい情報ありがとうございます。
これだけ経緯がはっきり解っているのも珍しいですね。

by 真秀 (2013-03-03 11:20) 

RYO

はじめまして。
私の本家が元々酒蔵だった事を聞いて検索していた所、当ブログに行き着きました。
物心付いた時には祖父の死去後で酒蔵を無くしてしまい痕跡すら無かったのですが、よく遊んでいた酒蔵公園がその名残だと始めて知りました。
先祖のお酒がとても凄い逸品だったということも知り、今代に受け継がれなかった事がとても残念です。

埋め立てられてますが、井戸の名残りは住居敷地内にあります。
by RYO (2021-05-22 05:24) 

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