SSブログ

出雲大社の奥殿を見る旅(奥殿拝観編) [旅行]

「出雲大社の奥殿を見る旅(玉造温泉編)」 から続く

P1050271.JPGさて、本番の2日目。ホテルの窓からは、朝日が。実は、これも大事なポイント。
悪天候だと風雨が内部に入り込むのを防ぐため
公開中止になることも有るそうです。先ずは、一安心。

見学の為に先ずは、斎戒沐浴...までは、流石にしませんが(笑)、
奥殿は格式の高い場所ですのでドレスコードが有るんですね。
服装は、ジーパン、Tシャツ、短パン、ジャージ、作業着、サンダル等は不可。
女性の場合、露出の高い服などもアウト。 ...アメノウズメノミコトさんは、駄目そうですね。(笑)

私も一応、スラックスに夏用の半袖ワイシャツ。服装ごときで見られなくなっては、堪りません。
ネクタイは、念のため、一応持っていきましたが、締めずに済みました。

朝7時にホテルを出発。先ずは、出雲大社に無事つく事。
春の公開のときは、出雲大社までの道が大渋滞。到着までが大仕事と言う状態だったそうです。
今回は、早く出た事もあってスムーズで添乗員さんともども一安心です。


さて、到着までに少し出雲大社の説明を。

出雲大社は、「大国主大神」つまり一般に言う「オオクニヌシノミコト」を祭った御社。
国津神の長たる大国主大神が天津神に国譲りを行う際に交換条件として建てさせた建物が
現在の出雲大社です。(あくまで日本神話上の話)
出雲ドーム.jpg本殿は、現在でも高さ24mと神社としては、破格の大きさですが、
伝承や平安時代の数え歌等では、東大寺の大仏殿や
平安京の大極殿よりも巨大で高く、高さ約48m、
さらに古代には、96mも有ったとされます。
右の写真は、日本で2番目に大きな木造建築である
「出雲ドーム」です。
この出雲ドームの高さは、奥殿の伝承の48mにあわせて
建てられていますので、この上辺りに社が有ると考えるとイメージが判り易いですね。
この高さは、当時としては当然破格の高さで疑問視する説も有ったのですが、
近年、境内から古神殿の巨大な柱の跡などが見つかり48mは、史実とされているようです。

毎年、神有月(神無月)の旧暦10月に全国の八百万の神々がこちらに集まり、
縁結びの会議を行います。
この「縁結び」は、人や男女の縁だけでは無く、五穀豊穣、災害、天候などを含む
「世界全体の流れ行く運命」としての「縁」結びだそうです。

さて、一行は、無事に7時半に出雲大社に到着。
事前の情報では、夏の公開は、熱中症などの事故を避けるため、7時半より整理券を配布との事。
余裕の時間ですね。まだ、土産物屋も開いていない境内を和気藹々と本殿に向かっていた一行。
......途中で一斉に顔が強張りました。
P1050288.JPG

な、何ですか?その遥かに続く長々とした列は?...しかも3周目?
小走りになる一行。(笑) いやぁ、甘く見てましたねぇ。
幸い整理券の受け取りは、回転は早いです。30分ぐらいで全員受け取りましたが、
見学は、9時半からの組。約1時間半待ちですが、まあ、恩の字でしょう。
炎天下で待たずに済みそうです。時間になったら社殿右のテントで順番待ちし順次見学とのこと。
それまでは、神社内を自由に見学。
P1050311.JPGP1050293.JPG
ちなみに、左の写真の手前の建物が、現在「大国主大神」を移している仮殿。奥が本殿です。

さて、やっと見学成った本殿は撮影禁止なのでメモといただいた資料の写真を上げておきます。
模式図2.jpg八雲の図.jpg

左は、御社の平面図。漢字の「田」の字状に構成され、右下から入ります。
この田の字の部分が今回の公開部分です。
奥殿の中に入る事は、出来ず、南側から中を見る形になります。
右は、今回の公開の目玉でもある「八雲之図」。
天井に描かれた彩色画で、図は、建物の東西を合わせた上からの透視図になっていますので、
実際に下から見ると左右が反転します。

奥殿の入り口には、15段のかなり急な木造の階段があり、この階段自体も貴重な物なので、
見学用に本来と別の手すり等が設置されています。
奥殿の周りには、白い大振りの丸石が敷き詰められ海の泡の上に浮かんでいるような印象ですね。
壁の木(松)は、長い年月の性でやや白っぽくなっており、銅板で補強されています。
杉で作られた柱は、非常に太く重量感があります。
念願の「八雲之図」は、普段、日に当たらない性でしょうか。
260年以上の来歴にもかかわらず、資料の写真より遥かに色鮮やかで巨大。感動的です。
ちなみに「八雲」なのに雲は、7つしか有りませんが「神様は、雲上に」という事で7つなのだとか。
....御神座の下にもう1個、隠して描いてありそうだと思うのは、私だけでは無いでしょう。(笑)

奥殿全体は、畳が敷かれており、入り口と御神座の間の板仕切以外の「田」の字の十字部分は、
白と黒に金の紋章の入った仕切り布が普段は、引かれているようです。
仕切り布には、オレンジの飾り紐が添えられています。
御客座五神は、「大神」と一緒に仮本殿に移し済みで有りませんでした。
図には、載っていませんが最初の間に一段高い式台があります。
ここは、おそらく拝礼する際の場所でしょう。
その位置が微妙に間の中心からずれているので気になっていたのですが、
どうやら八雲之図の一番大きい雲、「心の雲」の頭の先に来るように配置されているようです。
ちょうど拝礼場所と御神座の間の雲の向きのみが、逆に描かれていたりしますので
この「八雲之図」には、飾りのみでなく、深い意味合いが隠してありそうです。

正味20分ほどの見学ですが、非常に貴重な体験でした。
見に来る事が出来て本当に良かった。


見学していて感じましたが、やはり奥殿の構造自体もわざわざ横から回り込む構造だったり、
「大国主大神」が横を向いていたりと奇妙な構造ですね。
本殿自体も参道や鳥居から、わざと向きや角度をずらして配置されています。
参道や鳥居は、本来は、神様の出入り口なので本殿から真っ直ぐ作るのが
一般的な神社の構造です。
出雲大社の特殊な構造については、「神を祭る」為の施設では無く、
「征服した民族の古い神を閉じ込める」ための施設という説もあるのですが、
どうもこちらの方が正しそうな気がします。いわば「オオクニヌシの牢獄」でしょうか。

出雲大社の中を見学した後は、休憩を兼ねて旧JR出雲大社駅へ。
道は、既に大渋滞。玉造温泉に泊まって9時に出雲大社へ着いたツアーは、
見学時間が午後2時だったとか。まだまだ、順調な見学だったんですね。

P1050333.JPGP1050337.JPG
旧JR出雲大社駅は、大社建築の珍しい駅で、構内には、D51機関車などもあります。
「鉄」趣味の方には、見逃せない場所でしょう。建物内は、喫茶店などになっています。

さて、大きな目的を果たしたツアー一行は、松江の城下町へ向かいます。

松江、境港編 へ続く。
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 2

大和島根

いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸には四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。

by 大和島根 (2008-10-26 18:48) 

真秀

大和島根様

>いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが

そうなのですか。私は、未読です。
面白そうなのでちょっと探してみたいと思います。
未読のため、用語に若干理解不十分な面があるかと思いますが、
ヤマト王権=後の大和朝廷、または、初期大和朝廷で有るならば
ありえる説だと思います。

ただ、個人的には、この説だと
出雲系の出土物と大和系の出土物の性質の違いや
東北までの日本海側の出土遺構の共通性等が
充分説明しきれるのかなとちょっと疑問では有ります。

私的には、松木武彦氏などが唱えている、
北九州などの大陸文化を背景にし力を伸ばしてきた出雲系と
全日本の流通中心として力を伸ばしてきた近畿大和系の
対立の構図の方が納得がいくのですが。
by 真秀 (2008-10-27 00:14) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。